About
世界は1冊の本だ。
旅をしない人々は 本を1ページしか
読んでいないのと一緒だ。
-アウグスティヌス(キリスト教初代教父)
旅は人を育てる。
旅は人を強く靭やかにする。
旅は人をより自由にする。
僕はどうしようもなく旅が好きだ。
僕は学生時代から
バックパッカーというやつをやっていて
これまでに計10ヵ国65都市を旅してきた。
ただの学生の貧乏旅行だったから
移動は宿代を節約するために夜行バスが中心。
食事もスーパーで食材を買ってきて
ホステルで自炊していたし
自分へのお土産は1枚100円のポストカードだけだった。
それでも、
荘厳な大聖堂
ミルキーブルーの湖
赤く染まる悠久の大地
隆々と連なる山々
そして、旅先で出会った人々。
僕はきっと旅から
数え切れないほど
多くのことを学んだ。
そしてそれは多分
そうして旅をすることでしか
手に入らなかったものだと思う。
もしも僕が死んだら
遺灰はお墓に置くことはせずに
どこか海が見渡せる丘の上から
空に向かってまいて欲しい。
そうして肉体という檻から開放された後も
風のようになり 鳥のようになり
どこまでもこの世界を周遊したい。
こんなことを大真面目に考えている。
僕の会社員時代
こんなことを言っている僕も
少し前まではそこらへんにいる
普通のサラリーマンだった。
毎朝、満員電車の中で新聞を広げ
眠たい目をこすりながら出勤をし
コーヒーで眠気をごまかしながら
夜遅く部署に誰もいなくなるまで仕事をしていた。
飲み会では先輩たちにお酌をし
「気が利かねえな」とよく怒られていたし
休日は平日の疲れから
どこにも行く気が起きなくて
ただいつも家でごろごろしていた。
「嫌だなあ」と思うこともたくさんあった。
特に僕は会社の飲み会がとことん苦手だった。
自分より一回りも二回りも
歳が上の人たちの会話に
うまくついていけなかった。
僕は新人だったから
飲み会の幹事、出し物の企画など
取り纏めをよくしていたが、
せっかく苦労してお店を選び
企画を考えてもダメ出しばかり。
面と向かって新人はオモチャだとも言われたし
20代の貴重な夜の時間を
ただいじられるだけの飲み会に使うのは嫌だった。
けど、それも別に構わなかった。
なぜなら僕が入ったの日本有数の大企業。
日本人なら誰もが知っていて
この国の経済のかなりの部分を支えている
一大グループの本体だった。
福利厚生がしっかりしていて
入った年の5月からいきなりボーナスは出るし
グループには病院から葬儀の会社まで
人の一生を面倒見れるくらい本当に幅広くある。
まさに「ゆりかごから墓場まで」だ。
こんな素晴らしい会社に
入れてもらえたのだから
辛くてももっと頑張らなければ。
少しでも早く一人前になって
会社の利益に貢献しなければ。
そのためなら
大嫌いな会社の飲み会も
休日に狩り出されるイベントも
嫌な顔せずに参加しよう。
会社の利益ために。
先輩たちの役に立てるように。
そんな忙しい毎日を過ごすうち
学生時代夢中で世界各地を渡り歩いた日々の記憶は
少しずつ、確かに色褪せていった。
飲み会で大怪我をさせられて
そんな僕をある日突然の悲劇が襲う。
それは仕事を覚え始めて
一人でできることが多くなってきた
ある夜風が気持ちいい秋の夜のこと。
僕は上司の命令で参加させられた飲み会で
出席していた得意先の会社の人に
全治3ヶ月の大怪我を負わされた。
怪我を負った瞬間
何が起こったのか分からなかったが
すぐにあまりの痛みに呼吸するのも辛くなり
近くの病院へ緊急搬送。
そこでレントゲンを撮ったところ
左腕の骨が斜めに割けるように
真っ二つに折れていた。
結局その日はそのまま緊急入院をして
後日、僕は全身麻酔で6時間の大手術を経験。
医者によればギリギリのところで
神経は無事だったが、今も後遺症は残っていて
あまり重いものを持つことができなくなった。
・・・・
・・・
・・
・
・
その日、僕はいつも通り幹事を任されていた。
相変わらず会社の飲み会は嫌いだったが
その日は得意先の方との親睦を深める大事な会。
さすがに逃げることはできないと
腹をくくったが、実はその日は
前の週にとある資格試験のために
猛勉強していた反動で僕は体調を崩していた。
イマイチ体調が優れなかったので
お店に連絡して自分の席はキャンセルをし
上司にも、申し訳ないが飲み会を
欠席させてもらえないかと相談をした。
しかし、返ってきた答えはNO。
「それくらいでへこたれてちゃ
ビジネスパーソンは務まらないぞ!」
そう言いたかったのだろう。
せめて一次会で帰りたいと思っていたが
一次会が終わると
「当然二次会の店くらい確保してんだろうなあ!」
と店探しをさせられ結局付き合うことに。
こうして体調が悪い中
行く予定のなかった大嫌いな飲み会で
僕は大怪我を負わされた。
クリスマスに届いたマイナスの給与明細
その後の会社からの扱いに僕は憤慨した。
会社の命令で行かされた飲み会にも関わらず
労災にはならなかったので医療費は全部自分持ち。
さらに治療のためにしばらく休職をしたので
その間給料もなし。
それどころか休職中も
厚生年金や保険料は天引きされていたので、
送られてきたのは金額がマイナスの給与明細だった。
怪我で満員電車に乗ることが難しかったために
出社時間を遅くしてもらえないかと相談したところ
返ってきたのは
「じゃあ、満員電車にならないうちに早く来いよ」
という言葉。
早く出社する分退社の時間も早めにしてくれる
ならまだ分かるが、僕の会社は若手のうちは
フレックは使えなかったし、
定時後も会議が入るので
それに出席しないわけにはいかない。
「命にかかわるわけでもないし、怪我ごときで」
と軽く見られていたのだろう。
「まあ酒の席で皆酔ってたんだし」
とも思われていたと思う。
その僕の腕を折った相手からも
しばらくは連絡すら来なかった。
一体これまで毎日頑張ってきたのは何だったのか?
会社員とはこんな扱いを受けても
我慢して働き続けなければならないのか?
踏んだり蹴ったりな扱いを受けて
手術による高熱と痛みでうなされていた僕は
病院のベッドの上で怒りに燃えた。
「会社員なんか絶対に辞めて
自由を手にしてやる!」
こうして僕は社会人になって1年も満たずに
組織に縛られずに独立する方法を模索し始めた。
ビジネス、そして独立起業
それからの僕は早かった。
怪我で会社にいけない期間を利用して
あらゆる方法を模索・検討した。
結果、僕が取り組んだのはリスクが低く
手軽に始められたアフィリエイト。
「アフィリエイト」という言葉すら
聞いたことなかったが
とにかく貪るように情報を集めて
会社に復帰後も同時平行で実践。
そして月5000円も稼げない人が
全体の85%と言われるこの業界にて
3ヶ月後には月収10万円を達成した。
この時は3月の決算月で
会社が1年間のうち最も忙しい時期だったが
収入は半自動化させていたので
ほとんど作業をしていていない。
またある時には
会社で仕事をしている間に
会社の日収分以上の額を
自動で稼いだこともある。
その日は平日で
僕は朝から晩まで会社の業務を行っていたので
当然作業は一切していない。
このようにインターネットビジネスでは
一度うまい仕組みを作ってしまえば
自分の代わりに仕組みが働いて
勝手に稼いできてくれる。
「もしこれを極めれば、
会社になんか縛られなくて済むし
旅をしながら自由に
お金を稼げるんじゃないか?」
そして、インターネットビジネスに
一つの可能性を見出した僕の頭に浮かんだのは
かつて学生時代に抱いていた
「旅をするように
世界各地を転々としながら
生きていけたらいい」
という淡い希望、
「ノマドライフの実現」だった。
このブログの目的
そうして僕が立ち上げたのがこのプロジェクト、
“NOMADIC WOOD(ノマディック・ウッド)”。
直訳すれば「ノマドな森」というとこだろうが
あなたは「ノマド」という言葉を
聞いたことがあるだろうか?
“Nomad(ノマド)”とは英語で「遊牧民」の意。
遊牧民とはラクダや馬などの家畜を放牧しながら
周期的に新しい土地へ移動して生活を送る
民族の総称だ。
そこから転じて最近では
「ノマドワーカー」という言葉に
代表されるように
「IT機器を駆使してオフィスだけでなく
様々な場所で仕事をする新しいワークスタイル」
といった意味合いで使われるようになった。
このブログ、もといプロジェクトの目的は
そうした自分らしい自由な生き方を実現すること。
・夏は北国、冬は南国へ移住して
渡り鳥のような生活を送る
・組織や他人に依存することなく
ストレスゼロで毎月安定して収入を得る
・自分が心から夢中になれることで
時間も忘れてやりがいを感じながら働く
自分という確固たるブレない軸を持ちつつも、
様々な文化、言語、哲学、世界観に触れて
その度に心に新しい風を吹き込むように
自分を柔軟にアップデートしていく。
そんな何ものにも縛られない
強く靭やかで自由なライフスタイルの実現こそが
このプロジェクトの目指すところだ。
こんなことを言うとたいていの人は
「そんなことできるわけがない」
と言うかもしれない。
確かに僕も会社員として毎日働いていた時に
同じことを聞かされていても
それに反応したかどうかと言えば
正直怪しいところだ。
当時は精神的・肉体的にかなり弱っていて
藁をも掴む思いだったことが大きいだろう。
しかし、僕は本気だ。
世界にはまだまだ
僕たちが出会ったことのない
言葉、文化、価値観、概念が山ほどある。
それと同じように
世界にはまだ僕たちが想像もつかないような方法で
日々生計を立てて
生活をしている人たちがいっぱいいる。
僕らがこの世界で知っていることなんて
ほんの一握りで
せっかく新しい世界と出会えたのに
それを「ありえない」と反射的に拒絶し
蓋をしてしまうことはあまりにもったいない。
冒頭でも紹介したが
僕はこの言葉が好きだ。
世界は1冊の本だ。
旅をしない人々は 本を1ページしか
読んでいないのと一緒だ。
旅は人を育て
その人を強く靭やかに
そしてより自由にする。
僕はどうしようもなく旅が好きだ。
多分それが性分なのだろう。
せっかくこの恵まれた時代
恵まれた国で生を受けたのに
自分の理想を押し殺して
我慢して生きるなんてもったいない。
壁があるなら乗り越えればいい。
余計な荷物は捨てていけばいい。
本当にあなたが目指すものだけに
的を絞り、力を集めよう。
これを読んでいるあなたは
別に僕のような旅好きな人では
ないかもしれない。
それでもあなたにも
「こうなったらいいのになあ」という
自分が理想とする
ライフスタイルがあるはずだ。
それはどんなことでも構わない。
・愛する人とできるだけ多くの時間を過ごす
・月に1回は高級なレストランで食事を楽しむ
・年に一度はハワイでのんびりする
・単身赴任をやめて家族と一緒に暮らす
こんなことだっていい。
理想のライフスタイルへの障害は
僕があなたと一緒になって
一つ一つ取り除いていこう。
このプロジェクトをそうした
自分らしい生き方を求める人が集まる
ベースキャンプのような場所にしたい。
それが僕の願いだ。
かつてないほどモノと情報が行き渡り
あらゆる不可能が可能になったこの時代は
決してあなたを飽きさせはしない。
この世界はどこまでも美しく
驚きと感動に満ち溢れている。
それはまがりなりにも
バックパッカーとして
様々な国の文化に触れてきた僕が保証する。
さあ、身支度をしよう。
これまで想像したことのない
ワクワクするような冒険が
きっと僕らを待っているはずだ。
April 15, 2017
コンタクト:https://nomadicwood.com/contact